ちいが訥訥
TVで「嫌われる勇気」というドラマが放映されていました。先日最終回でした。
わたくしは、録画していて、まだみておりませんが、このドラマのなかで出てきたアドラーという学者について興味を持っていました。

このドラマがはじまる前、或るTVの番組で、アルフレッド・アドラーという名前を知りました。
この方が書かれた本について、説明をしていたのですが難しくて理解できないことも多く、また、このようなこと、できないわと思うこともありました。そういえばドラマでも、凡人であるわたくしには実行不可能ということが多かったように思われます。

その中で、唯一、愛する人との別れのときについてのところだけは心に刺さりました。
別れるために出会う。というところです。
彼がいない現。ことさら心に刺さりました。

我々に与えられた時間は限りあるものです。そうである以上、すべての対人関係は「別れ」を前提に成り立っています。限りある時間での出会いには別れは必ずやってくるのです。
全ての出会い、全ての対人関係においてただひたすら「最良の別れ」に向けて普段の努力を傾けるのです。

そして、いつか別れる日がやってきたとき、
「この人と出会い、この人と共に過ごした時間は間違いではなかった」と納得できるよう「今ここを真剣に生きる」
のが大切なのだそうです。

納得出来るように「今ここを真剣に生きる」わかります。真剣に生きましょう。
真剣に生きたとしてもやはり別れは悲しい。多分アドラーも悲しくはないとはいっていないのですが。

でも後悔しないように真剣にいきられたら別れに納得がいくのでしょうか。
何年間一緒に生きられたら納得がいくのでしょうか。
何歳で別れたら納得がいくのでしょうか。
同時に逝くことは難しいことです。

人間の煩悩ははかりしれないものです。
わたくしが彼と出会い、彼と共にすごした、季節。きせつ、季節。
迷ったときは一生懸命考えて、後悔しないように道を辿ってきたつもりです。

つもりだったのですから彼が居なくなることが納得できるものではありません。
高齢者が居なくなるのは当たり前でしょう。若い人の別れのほうがより哀しみは深い。
もう高齢者だから、若い人の別れとは違って、早く立ち直れるでしょう。いつまで悲しんでいるのそういわれます。
けれどわたくしはしつこいのです。もっともっと一緒にいたかった。彼の為に何かできたのではないかと後悔するのです。


24日過ぎから本当に不思議なことに胸の騒めきが始まります。
それでも今月は習った方法の深呼吸をすると、少し楽になります。


本日はここまでにいたしましょう。
良きことに恵まれますように。